2010年1月21日木曜日

望月桂の作品を入手





日本における前衛芸術の歴史の中で、今日ほとんど忘れ去られた、しかし最も重要な美術家の一人に、望月桂がいる。

ごくごく簡単に略歴をまとめると、こういう人。


1887年(明治20)〜1975年(昭和50)
長野県明科町の帰農武士に生まれ、1910年東京美術学校西洋画科選科卒業。石版印刷会社経営、食堂経営、アナキズムの運動家、漫画家、デザイナーなどとして活動した。とくに、1919年12月から1921年頃まで、大杉栄らとともに、美術団体・黒耀会(後に民衆芸術展と改称)を主宰し、美術家、社会主義の活動家、文学者、演劇、演歌など、社会運動に共鳴する様々な人々を糾合したことで知られる。漫画家としては、大杉栄との共著『漫文漫画』(アルス、1922年)があり、犀川凡太郎の筆名でも活動。日中戦争下の1938年から1939年までは翼賛漫画雑誌『バクショー』を主宰。戦後は故郷で農民運動、美術教育に携わる。


戦後における美術史研究では、早い頃には土方定一なんかも望月桂には関心を持っていたらしい。



その後は、かつて雑誌『美術グラフ』をつくり、今は近代美術資料館を営む菊地明子さんが、調査されてきた。


ほか、比較的手に入りやすい参考文献として、以下の本がある。

『大正期新興美術運動資料集成』国書刊行会、2007年



望月桂は、とても多面的な人なので、一言でこうだといえるような存在ではない。でも美術史の角度からいえば、大正期に彼が主宰した黒耀会は、マヴォや三科より先駆けて、アナキズムと先鋭的表現の交差点に明確に位置していた、といえるだろう。

たまたま手に入った望月桂の色紙・水彩(27.2×24.1cm)は、主題や技法から判断して、おそらくは、1920年から1926年までの間の作品だと思われる。もちろん真筆。

巨大な拳が、金持ちや警官を握りつぶしているところを描いている。アナキズムの労働運動が華やかりし頃の、ちょっとユーモラスな作品。

今年は良いことがあるかな。